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【アラベスク】  第7章 雲隠れ (後編)



第4節 月明かりはいらない [8]




 夏休み前、罵倒されたのが最後。あれから一度も、想わなかった日はない。
 布団に手を入れ、そっと握る。細くて小さな、美鶴の掌。
 月明かりなどなくとも、目が慣れればはっきり見える。顔にかかる髪の毛も、瞳を隠した長い睫毛も、白い頬も。
 やっと逢えた。
 胸がカッと熱くなる。
 抱きしめて、キスをして、このまま自分のモノにしてしまいたい。
 ぼんやりと浮かび上がる、ふっくらと柔らかい唇。
 柔らかいと、知っている。校庭で重ねた暖かさが、ジンと痺れて熱く沁みる。
 今なら誰も見ていない。だが―――

 くーまちゃんっ!

「っ!」
 思わず目を(つむ)る。
 別に、行動に移す勇気がないというワケじゃないっ!
 こんな時に寝込みを奪うなんて、不謹慎じゃないか。卑怯だろっ!
 そう言い聞かせる脳裏に、携帯がチラつく。
 結局、詳しい事は聞けなかった。

「大丈夫です。あなた達の恋路を邪魔するような存在ではありませんよ」

 春の陽射しのような微笑で、霞流慎二は瑠駆真へ告げた。
 だが今となっては、まったく信用できない言葉。
 なぜ美鶴と彼が、携帯を? 聡が口走った、京都という言葉も気になる。

「この辺りには、少し知り合いもおりましてね」

 繁華街に知り合いって? 情報を提供してくれた男性は、いかにも水商売って感じだった。
 目の前で、美鶴が無防備に眠っている。
 夏休みに、何があった? ひょっとして僕だけ遅れてる?
 そう思うと、焦りが全身を包み込む。
 負けたくない。誰にも誰にも、渡したくない。

「俺だけの里奈」

 うわ言のような澤村優輝の言葉。
 ――――― 違うっ!
 何が?
 脳裏で、別の自分が笑う。
 何が違う?
 違うんだっ!
 必死に怒鳴り返す。
 僕と彼とは、違うんだっ! 僕は、美鶴を人形のように扱っているんじゃないっ!
 そうだ。
 握る掌に力を込める。
 僕が必要としているのは、美鶴なんだ。僕は美鶴が好きで、必要で、従わせたいワケじゃない。
 ただ人形にように、傍に置いておきたいワケじゃない。こうやって……
 掌の温もり。
 あったかい。
 僕には、必要なんだ。
 そうだ。だから誰にも渡してはならない。

 自分は本当に、本当に美鶴の事が好きなんだから。

 時計の針が、静かに動く。
 二百十日の終わりを、告げる。


------------ 第7章 雲隠れ (後編) [ 完 ] ------------





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